青木 公隆

郊外から生まれる新しい建築(家)のカタチ

取手の窓: 茨城県取手市のシェアオフィス 産婦人科からのリノベーション


現在、僕は建築家として生きている。主たる活動は、建築の設計である。そして茨城県取手市と東京都足立区千住エリアに特化した2つのエリアで活動を行っている。事務所は千住の戦前から建つ築76年の木造平屋の古民家である。
古民家の事務所はとても気に入っている。図面を描いていると子どもが入ってきて模型をいじる。模型を作っている横の部屋では、地域の方々が合唱をしている。外からは千住の商店街の活気が伝わってくる。様々な出来事が、この古民家、あるいは建築設計事務所でパラレルに共存している。これから先の事は正直分からない。明日出会うひとに影響を受けて、また別のアイディアを得て実践し始めるかもしれない。
レクチャーのタイトルは「郊外から生まれる新しい建築家のカタチ」である。僕らの世代は、郊外を地元とする初めての世代である。郊外に庭付き一戸建てを購入した親世代は郊外の新住民であり、郊外にある農家を住まいとするのは旧住民である。僕らの世代は、郊外を地元と呼び、郊外に帰ることは故郷に帰ることである。この郊外の地元化によって生まれる郊外への眼差しは、少なくとも僕の中では、郊外への愛であり、責任であり、自分の存在価値を確かめられる場所となった。僕の郊外は、茨城県の守谷市や取手市である。1970年代からベッドタウンとして開発されたこのエリアは、高齢化・空き家の増加など典型的な社会問題を抱える。僕の建築設計の大半の実績は茨城を敷地としている。地元の町内会長から依頼を受けた住民のためのデッキや、土浦のクリニック、陶芸家のための家、産婦人科からコンバージョンによるシェアオフィスへの改修など、様々な用途である。そのような活動を通してできた僕の重要な経験は、いつでも手の届く範囲の敷地で設計をして、竣工後もその建築を見続けることができたことである。この経験が後のエリアに特化した活動に繋がった。

事務所外観: 現在の事務所のエントランス (photo: 大倉英揮)

事務所内観: 事務所内のシェアスペース スペインの若手建築家展覧会風景 (photo: 大倉英揮)

現在、茨城県取手市と東京都足立区千住地域をベースに活動をしているが、建築の設計はこの地域外でも行っている。僕の言うエリアを特化した活動とは、建築設計以外を含んだ活動を示す。例えば、地域の住民と今後のまちづくりについて考えるということもそのひとつである。取手市では、地元の方々とチームを結成し、取手アート不動産として、従来の不動産とは異なった取り組みを行い、取手でしか実現できない空き家の利活用を促している。空き家を通して、地元の方々や不動産屋との連携を形成し、活動をしている。また足立区千住では、千住芸術村の拠点となっていた古民家に建築事務所を設置して、千住のひとのネットワークに積極的に介在し、地域住民の方々と千住エリアで活動をし始めている。
誤解しないでほしいのは、僕の独立前・当初からこのような特化したエリアでの活動を目論んでいた、というわけではない。茨城県取手市は僕の地元であり、NPO取手アートプロジェクトから誘われたことが取手の活動のスタートであった。足立区千住に事務所を置いたことは、取手という郊外を内だけでなく、外からの視点で常に見た方が良いという考えからであり、良く飲んだ街・茨城と都内の中継地点という理由で千住にしたというだけである。設定したエリアの中へと自分自身を溶け込ませることは至難の業である。地道にひとと出会い、飲み語り合い、偶然の出会いを頼りに、次に進む。この2つの地域を行ったり来たりする毎日を過ごすことでどちらにも良い意味で地域に染まらない。2つの特化したエリアで建築を軸とした実践を地域の方々と行うこと、これが僕の建築家として・人間としての作家性となった。

みずき野デッキ: 茨城県守谷市の地域住民のためのデッキの計画 (photo: 新澤一平)

独立後の約4年間で7つの建築を設計し、現在進行形で3つの建築を設計している。建築の設計は、敷地の周辺環境やクライアントの趣向など他の要因もあるが、設計する建築家の身体の延長上で生まれるという考えに至った。結局は、“僕は建築をつくる”のである。一方、都市や街は、僕らがそこに辿り着いた以前から存在するものである。街を考えるには、僕の中にある街の解像度を上げるしかない。街に事務所を構えて、積極的に街やひとと関係をもつこと、街やひとから影響を受けること。“街・ひとは僕をつくる”のである。
街・ひとは僕をつくり、僕は建築をつくる。そして建築は街の一部となる。建築にひとは集う。この循環のすべてに関わる人間が建築家であり、そして現在、その関わり方に新しいアイディアが求められている。僕らは考えなればいけない。そのアイディアを。僕は特化する2つのエリアを設定すること、地域の拠点となるような事務所にすることを考え、実践している。そのアイディアは独りよがりではならない。そして最も重要なことは、その関わり方の先にある、未来にどのような社会を構築するかである。それを語るためには、僕にはまだ時間が必要である。近い将来語ることができるために、明日も建築を考え続ける。(青木)

上飯田の家: 仙台の郊外に建つ住宅。屋上のある住まいの提案 (写真: 新澤一平)

上飯田の家

上:土浦の診療所 内科クリニックの待合室/異なる4枚の屋根が連なる建築
下:取手アート不動産のHP/空き家情報や取手のコラムの掲載

「郊外から生まれる新しい建築(家)のカタチ」を聞いて 伊藤孝仁

特定のエリアを設定することで解像度をあげながら、研究と実践を並行する青木さんの多様な活動には、通底する価値観があるように思う。それは、職業としての建築家のあり方に関わるものである。
今までの建築家像は、環境に新しい個性(差異)をもたらすことを期待された存在だった。建築がおかれるその環境は、建築家にとってゲームの条件のようなものだろう。
対して、青木さんのような建築家は、自分自身の個性や職能や持ち物を、まちや環境といった、大きなまとまりから俯瞰して捉え直している。環境に身をおくことで人やもののネットワークの情報をあげることは、環境の意思というか声を聞くような作業だ。
自分の物語の中に環境をおくか、環境の物語の中に自分をおくか。利他的になれ、というわけではなく、さまざまな物語を自在に移動するような、流動化した視点にこそ価値があるということに共感する。
建築家のあり方ということを超えて、社会と個人の関係を示唆している。

青木 公隆 Kimitaka AOKI
ARCO architects 代表

1982 テキサス州生まれ
2006 東京理科大学工学部第一部建築学科卒業
2007 Dominique Perrault Architects
2008 東京大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了
2008 株式会社日本設計
2012 ARCO architects設立, 東京理科大学工学部補手
2015 東京藝術大学社会連携センター 教育研究助手
2016-  現職