藤井 健史

みんなでつくること

とり福本店


改修前の民家

チームというものの可能性
大学入学以来、僕はバンドを組んでいる。曲作りは、僕の鼻歌をスタジオでメンバーに聞かせ、各パートが即興で作っていく。そうすると面白いのは、自分の鼻歌に思ってもみなかった音が重なっていき、曲が自分の中の想像を超えていく瞬間がある。僕が人生で初めて経験したチームというものの可能性だった。バンド活動で得たワクワクと喜びの感覚は、チームで建築活動を行う際にも僕の1つの拠り所となっている。

でこぼこでちょうどいい
様々なプロジェクトをチームで取り組んできた。中でも印象深いのは、とり福本店プロジェクトだ。僕の幼馴染の福本君(以下ふっちゃん)が、築100年の民家を直して弟と出店する第一号の飲食店にするという、彼の人生を賭けたプロジェクトだった。ふっちゃんと、地元の設計者仲間の翔君、そして僕。その3人の小さなチームでこのプロジェクトは始まった。
この3人の毛色がかなり違って面白い。翔君は家具作りの修行ののち、地元の設計事務所に勤めながら建築士を取得して設計の仕事をしている。バイタリティがあって実戦重視。ふっちゃんは料理と映像の修行をしてきた人で、建築は専門ではない。しかし、彼は料理も建築も、あるいは音楽や映像もひとつながりに捉えていて、要するに物語だという。例えば玄関について、彼は「玄関の戸は少し重くて、引けばガラガラと音が鳴ってほしい。そうすると、物語が始まる気がする。」と言う。一方の僕は大学で育ってきた人間で、ロジックとして建築を捉える訓練をしてきたのが他の二人には無い強みだ。
違う道筋で建築を捉えてきた3人。僕らはよく「でこぼこでちょうどええ感じやな。」と言い合っていた。チームを組むなら、自分にないモノを持っている人間がいい。それぞれ自分の仕事が終わった後、明け方まで意見をぶつけ合う。施主と設計者の打合せとはだいぶ温度の違う、フラットなど真剣の議論。ケンカもした。そういう幸せな生活が数ヵ月続いた。

伝染する夢
議論を重ねるにつれ、良いモノができる予感を日々深めてはいたものの、実現に向けてはいくつもの大きな壁があった。コストの話にしても、普通にやれば全くお金が合わない。「新築した方が安くつくし、投資リスクが大きすぎる。」まわりは最初口をそろえてそう言ったが、ふっちゃんは「100年の時間はお金では買えない。」と、民家再生による方針を譲らなかった。経験の無さも幸いし、怖いモノ知らずを地で行った。「お金が足りない分は自分たちでつくるしかない」というシンプル?な発想で、できる範囲はセルフビルドする道を模索した。そして、わからないことは詳しい人に助けを求めた。3人で知恵を絞った結果と「何とか実現したい」という思いをぶつけ、教えを乞うた。
そうやってもがいているうちに、一人、また一人と仲間が増えていった。「そこまで言うなら力を貸してやる。」といった感じで、工務店の久保田さんも職人さんも、お金に見合わないややこしい仕事なのに引き受けてくれ、本当に親身になって助けてくれた。建設関連の仕事をしている知り合いは総動員状態。ふっちゃんの親兄弟はもとより、地元友人も集めて、掃除や解体に始まり、塗装や穴掘り、フローリング貼りまで、自分たちでやれることは全てやった。隣の家のおじさんもいつの間にか参加していた。3人の夢がまわりに伝染したように、僕らの無茶に付き合ってくれる人が増えていき、チームは大きくなっていった。

福本兄弟:改修前民家正面にて。
彼らがこの民家を直して店を持つと決めた日。

上:解体が終わり、民家の骨格があらわになる。
中:床が組まれた様子。下地までは大工さんで、フローリング貼りはセルフ。
下:外装も自分たちで塗装し直した。

とり福本店玄関正面:玄関の戸はもともとの玄関の引き戸をリメイクした。アプローチには床下に埋まっていた石を大きい順に並べている。

愛される建築
2014年4月、とり福本店は無事竣工し、プレオープンの日を迎えた。100年の間、まちと人々を見守ってきたこの建築は、近年は使われることもなく、取り壊される予定だった。その歴史を閉じようとしていたまさにその時、たくさんの仲間の助けによって新たな命が吹き込まれたのだった。プレオープンの日はチームが一堂に会し、その新しい歴史の幕開けを祝福するとともに、このプロジェクトの意義を噛み締める感動的な日だった。
多くの仲間に助けてもらえたことは、コスト面の問題をクリアするための方法ということ以上に、大切なものをとり福にもたらしてくれていた。プロジェクトに参加した仲間は、「あそこは僕が作ったぞ」と、まるで自分の店のようにうれしそうに話す。みんな苦労して作り上げたので、可愛くて仕方がないのだ。みんなの眼差しには愛があった。
かねてから、ふっちゃんは「店を持つなら、ありったけの苦労をしたい。そうでないと店を守りきる自信がない」と言っていた。今、福本兄弟はたくさんの仲間の愛を引き受けて、厨房に立っている。その温かな覚悟が店の空間を満たす。そこにある物語がお客さんに伝わる。

建築の力
建築の力とは何だろうか。あるいは、建築に力を与えるものは何だろうか。答えは難しいが、必ずしもデザインという話だけではなさそうだ。
建築プロジェクトは夢を乗せる船のようだ。たくさんの人の夢を乗せ、誰かを幸せにする大きな可能性を備えている。「そんな面白そうな船なら、乗客はなるべくたくさん乗せちゃえ!」とり福はそんなプロジェクトだった。たくさんの人に開かれ、助けられ、愛されるに至ったことが、デザインとはまた全く違う次元で、この建築に力を与えている実感がある。早いものでもうすぐオープンから2年が経つ。プロジェクトに関わった仲間たちは今も足しげく店に通ってくれているらしい。仲間たちだけでなく、お客さんやまちの人たちにも愛される場所として、これからも時を刻み続けてほしい。

建具はリメイクし、照明はそのまま利用した。サインは木製で藤井作。

とり福本店客席内観:前面道路に面した窓から客席・厨房を経て玄関前の庭まで、視線が抜ける。

プレオープンの日。とり福の新たな門出。

「みんなでつくること」を聞いて 磯部孝行

藤井先生は、各プロジェクトで「みんなでつくる」で作る体現していた。立命館大学では学生と、ボリビアでは巨匠原広司先生、学生、ボリビアの人達と、滋賀県八日市では地元の友人や地域に住む専門家を集め、まさに「みんなでつくる」建築家だ。「みんなでつくる」には、建築をつくることによって人と人が結びつき、その人々と建築に魂を宿すような行為であるように私は思った。そして、藤井先生のプレゼンを聞いて、様々な苦労や努力の末に、人々の思いを束ね魂のこめられた建築は、活き活きとした建築になるのだと感じた。日本では、施主、設計者、施工業者と専業化されているが、よい建築を作るには、それぞれの思いを束ねることが重要であると考えさせられた。将来、藤井先生が手掛ける「みんなでつくる」建築が、活き活きとした建築であることは想像に難くない、そして、「みんなでつくる」建築の中でAFTER HOURSを開催しましょう!

藤井 健史 Takeshi FUJII
郷田研助教

1984 滋賀県生まれ
2009 立命館大学大学院理工学研究科博士課程前期課程 創造理工学専攻 修了
2009 立命館大学理工学部建築都市デザイン学科助手
2010 一級建築士 取得
2015 立命館大学博士学位(工学)取得
2015 東京理科大学工学部第一部建築学科
郷田研究室助教

(写真左から4番目)