松本 直之

木造建築の近代 構法と構造の視点から

木摺漆喰壁の解体修理 (旧伊達郡役所, 福島県, 1883)


レクチャーでは、構法・構造的な観点から木造建築を見た場合に、近代 −主に明治から戦前まで− にどのような試みが行われ、戦後の木造へ流れていったかについてご紹介しました。また、近代に導入された構法のなかでも木摺漆喰壁と呼ばれる、当時非常に多く用いられた湿式壁の構法と構造性能の考え方についてご紹介しました。近代の建物は近世までと大まかには連続していますが、現代の木造へ至るまでには、当時の材料や技術、思想の多様化を受けて様々なものが生み出されていたことが伝わっていれば何よりです。
ここでは、近世までとの対比から近代木造の構法・構造を位置づけ、さらに現在試みている壁構法の構造システムの解明についてご紹介します。

木摺漆喰壁の静的加力試験の様子 (左:試験前正面, 中:試験前裏面, 右:破壊後(-1/10rad.)

現代と近世の木造を繋ぐ近代木造
近年、木造建築においても、鉄骨造や鉄筋コンクリート造に並ぶとも劣らない様々な構法・構造的な挑戦が試みられつつあります。今日に至る流れとしては、産業的な背景としての外国産材輸入の解禁に伴って80年代以降再興した集成材による大空間構造の試みや、それを可能にした1981年の建築基準法改正、1995年兵庫県南部地震以降急増した構造性能に関する研究の蓄積、2000年の性能規定化などが挙げられます。2010年の木材利用促進法の施行も記憶に新しいところです。
一方、いわゆる普通の戸建住宅に関しては、建築基準法(1950年)で大枠を規定された木造軸組構法が多数を占める一方で、74年にオープン化された2×4工法や、パネル工法なども一定の割合を占めるに至りました。近年でも、木質の耐力壁、接合部のプレカット、金物工法や根太レス工法など、技術開発は盛んであり、日本の木造住宅生産は、耐震性能、環境性能、居住性といった性能を高めながら、成熟期に至っていると言えるでしょう。
では、これらの「木造建築」は、昔から同じ作り方なのでしょうか。古代建築である法隆寺、江戸時代に再建された東大寺、京都の町家、これらと現代の木造建築は何が違うのか。決定的な変化は、明治から戦前の近代に起こりました。

近代の木造建築に導入された構法:伝統木造の各部構法が変化していった様子を示す

真壁水平木摺の水平抵抗機構:漆喰の層と木摺が連動して抵抗している

前近代の木造建築の構造
古代建築では、地震力に対しては、太い柱の転倒復元力や、大きな断面の長押のめり込みや釘のせん断抵抗、柱の間を埋める土壁のせん断抵抗などが主な要素でした。
中世に入ると、軸組を繋ぐ貫の導入、軒を跳ね上げる桔木の普及と内部の柱の省略、それに伴う木割の縮小などが見られるようになります。古建築には用例の少ない斜材(筋違など)も中世から確認されます。中世の後半には、書院造と呼ばれる近世住宅の基本となる、木割の細い御殿の形式が整備されますが、抵抗要素に変わりはありません。
近世には、城郭の建設を通じた壁の発達や差物と呼ばれる横架材、通し柱の使用が民家に広まったこと、小屋組の強化が進められたことが知られています。このほか、幕末には既に、小田東壑『防火策図解』(1856)などで筋違による補強も提案されていました。
古代から近世への流れを敢えてまとめると、太く長大な材料から木割(部材の比例関係)が細くなっていったこと、関連して横架材のシステム(貫、差物)や桔木などの補強材が整備されていったことと言えるでしょう。大きいもの自体で支える構造から、細いものの組み合わせによる構造への変化と言ってもよいかも知れません。

近代における木造構法の変化
では近代になるとどのような変化が起こったのでしょうか。各部構法の構造的な変化としては、洋小屋の導入(大スパンへの対応)、軸組(差物から胴差へ、筋違の挿入)、壁(間柱、木摺、洋風下見等の導入)、床(火打ち)、基礎(布基礎、外周積石基礎など)、接合部(ボルトを用いた金物接合)などが挙げられます。これらは、新たな機能への対応、新時代を象徴する意匠の表現にとどまらず、特に明治中期からは自然災害へ対処するための耐震・耐火化も大きな動機になっていました。結果として、接合部は金物で固め、壁は筋違で剛性を高めることで地震に抵抗する方向への変化が起こってゆきました。太平洋戦争中には、木造による大規模空間構築の試みもみられましたが、戦後には福井地震をきっかけとした壁量計算という簡易な検討手法の成立とともに80年代までの主な現代木造は住宅へと収斂してゆくことになります。

近代木造の射程:壁構法と木摺漆喰を例に
以上のような変化の中にあった近代の木造建築ですが、これを保存、活用するためには、やはりその構造性能が問題となります。筋違や土壁の評価は既に可能ですが、近代に導入された構法には、実はまだまだ評価されるべき余力が残っていると考えられます。
例えば、主に室内を白塗りの大壁とするために使われた木摺漆喰壁というものがあります。木摺と呼ばれる幅50㎜内外、厚10㎜内外の板を空き5㎜程度で柱に釘打ちし(ほとんどは水平に)、直接漆喰が塗り上げられるものです。現存する近代木造の文化財で見ると、半数以上の室内側壁に用いられているほど、当時は一般的な仕様でした。
この木摺漆喰壁の構造的な特性を明らかにするために、静的試験を行ったところ、釘や、漆喰単体もさながら、木摺の空きに食い込んだ漆喰と木摺が連動する効果の影響が大きいことが分かってきました。弾性剛性は土壁にも劣りませんが、より早期に降伏し、耐力は最大値の半分程度に落ち着きます。とはいえ、その後の荷重増加も評価できるもので、漆喰を含めた余力を評価することの有効性を示すことが出来ました。

左:木摺漆喰構法の詳細
右:小屋組のキングポストトラス(旧伊達郡役所, 福島, 1883)

木摺漆喰壁の面白いところは、木部材と漆喰、それぞれ昔からあったものが近代の要請の中で組み合わせられ、近世以前には見られなかった構造システムとして成立し普及した点にあると考えています。このように、ある意味で場当たりで混淆的なもの、過渡的な状況としての近代の中で生まれた構法・構造システムはまだまだあります。それらの実態を構造的にも、また技術史的な意味でも解明していければと考えています。(松本)

修復における近代的構法の適用:木造トラスによる補強 (江戸城桜田門, 宮内省内匠寮, 1923年(関東地震復旧))

「近代木造の射程」を聞いて 佐河雄介

一般的な歴史観で評価しやすい伝統木造に比べて、近代木造のその評価は難しく、保存も上手くいかないことが多いと聞く。そのため近代木造建築物を評価するためには歴史的な価値を語るだけでは足りない。そこで松本さんは仕上げ材として認識されていた木摺漆喰を構造的に再評価することで構法的に建築の価値を高める手法とっていた。この発想の展開は非常に興味深かった。
レクチャーに登場した近代木造の建築物はどれも愛嬌があり、寺社仏閣のような威厳はないが、町の風景の一端を担っているような建物ばかりで心惹かれた。私自身が今回の発表には登場しなかったが福島県にある擬洋風木造校舎のある学校を卒業しているため、より一層惹かれたのかもしれない。
今回、松本さんには近代木造を保存するために構法的なアプローチを示して頂いた。多くの地方都市が町の維持管理に苦戦するなか、なぜその建物を残す必要があるのか、その建物をどう活用していくのか、歴史的なアプローチ以外にも包括的に考えて提案していく必要があると強く感じた。ありがとうございました。

松本 直之 Naoyuki MATSUMOTO
東京大学生産技術研究所助教 腰原研究室

1986 兵庫県生まれ
2011 東京大学卒業
2016 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻
博士課程修了 博士(工学)
2016 東京理科大学工学部建築学科 嘱託補手
2017-  現職