桂 有生

建築(家)と近くて遠い、都市デザインの話

みなとみらいは山から海に向けて建物高さが下がっていく「スカイライン」が設定されている。 建築ではなくその集合体である街のデザイン。


赤レンガ倉庫に代表される「歴史を生かしたまちづくり」。歴史的建造物は横浜らしさを後世に伝える”都市の記憶”でもある。

(横浜の)都市デザインと建築(家)との距離
建築を志して以来、その過程で身につけた空間を扱う技術を通して社会と関わってきたつもりです。学生ならいざ知らず、長く社会人として過ごせば「いい建築」という言葉に、世間での意味と建築に携わる人たちとの間で乖離があることに気付きます。その乖離を建築界からは「日本では建築家の地位が低い」と言い、世間は「ハコモノ」という蔑称で表現する。この乖離を埋めるために、建築側が社会の要請に応えながら信頼を得る道を探りたいと思っていたせいもあって、今は建築の設計から離れ、横浜市都市デザイン室で都市デザイナーを生業にしています。

横浜の都市デザイン
横浜の都市デザインは戦災と接収に端を発しています。横浜は他の空襲都市と違い、接収されていて戦後の復興がままならなかった。さらに高度経済成長期には東京の衛星都市となり、開港都市としての個性を保てないのではという危機感があった。そこで60年台に入って横浜市は、”自立的”都市の構築を目指した3つの基本戦略=「プロジェクト(6大事業)」「コントロール」「都市デザイン」を立て、都市を再構築し、これが今の横浜の基礎となっています。その中で後の都市デザイン室となる専門部署が1971に活動を開始します。「魅力と個性ある、人間的な都市の実現」を目指し、以下の「7つの擁護すべき価値」を都市デザインの目標としています。

(1)歩行者を擁護し、安全で快適な歩行者空間を確保する。
(2)人と人とのふれあえる場、コミュニケーションの場を増やす。
(3)地域の歴史的、文化的資産を豊かにする。
(4)地域の自然的特徴を大切にする
(5)市街地内に、緑やオープンスペースを豊かにする
(6)海、川、池など水辺空間を大切にする。
(7)街の形態的、視覚的美しさを創る

そして、インハウスの都市デザイナーが、みなとみらいに見るような一貫性のある景観づくりや、「歴史を生かしたまちづくり」などの「横浜らしさ」を支えているのが特徴で、自分のような極端に意匠系の建築出身者が行政にいられる理由でもあります。行政側にデザインのリテラシーがあることで建築家とのコラボレーションも多く、例えばみなとみらいの計画は大高正人さんによるものです。個人的には小泉雅生さんとの「象の鼻パーク」が印象に残っています。今、横浜市はデザインビルドで新市庁舎を建設中なのですが、デザイン室は「横浜市新市庁舎デザインコンセプトブック」をつくって建築家の参画の可能性を残しました。結果的に槇文彦さんという大物が釣れたのですが、コラボレーションという意味では偉い先生ですから、あまり上手くいきませんでした。建築(家)と都市デザインの関係性も変わってきているように思います。

都市デザイン年表。歴代都市デザイナー在位を下段に記入している。

2015にまとめた「横浜都市デザインビジョン」では、中心となる価値観を共有していれば個々の暮らしと都市、それぞれを豊かにすることで相互を豊かに出来るとまとめている。

都市デザインという半部外者から見た建築 311と新国立競技場
311からの復興と新国立競技場は建築に関わってきた身として非常に無力感を感じました。311について内藤廣さんは「日頃からの付き合いのない建築家は被災の混乱に乗じて営業に来たとみられても仕方がない」「(建築家は)自分にとって良いものは他人にとっても良いという信念で建築をつくる」(日経アーキテクチュア)と、急にやってきて独善的な正義を振りかざす建築家を諭しています。
新国立競技場については、そもそも建築の問題だったのか?と思います。ザハ案嫌いという狭い了見で建築家が問題を引き寄せてしまった側面が否めない。あとは現状認識の甘さです。例えばコンペが発表された時に話題になったのは参画へのハードルの高さでしたが、建築家への世間の不信感を考えれば、まず国際コンペに出来たことを評価すべきだったと思います。槇さんの描いたザハ案転覆も結果的に建築家への不信とデザインビルドを進めることになり、建築(家)を守る視点から本当の意味での勝ち目があったのかと疑わざるを得ません。コンペ、既存改修、デザインビルドと視点や立場を変えて3案も出した伊東さんの責任も見逃せない。

まだまだ未成熟な都市デザインとその手法
311と新国立からの教訓は、今までのように政治や世間、経済といった「俗」から距離をとっているなら、今後も建築(家)は社会で力を発揮出来ないということだと思います。とはいえこれはそのまま、都市デザインの課題でもあります。今後、社会が大きく変化するにあたって、都市デザインの手法はまだ未成熟だと感じますし、横浜のように地方行政が進める場合は特に経済との付合い方など、多くの課題があります。これから建築に限らず様々な人が主体的に都市のデザインに関わっていくことを望んでいますが、これまで各所で見られた、民間⇔行政/都市⇔建築/管理⇔利活用といった対立の間に入り、客観的、横断的に調停するのがパブリックな行政都市デザインの大きな役割なので、諦めずやれたらいいなと思っています。(桂)

「横浜市新市庁舎デザインコンセプトブック」では敷地の特性や、市庁舎のあり方から横浜市の望む建築のあり方が示してある。

建築学会の「建築雑誌」2016.06/07号でも都市デザインの視点から見た建築についてのインタビュー記事が掲載。

「建築(家)と近くて遠い、都市デザインの話」を聞いて 石榑督和

魅力的な都市空間、特に魅力的な公共空間を醸成していくにはどうすればいいのか。桂有生のレクチャーは聞き手にそれを強く考えさせるものであった。レクチャーは公私混同をモットーとする彼自身が、いかに自分たちの生活を開こうとしているかという話から始まった。
他方で横浜市都市デザイン室が公共空間へいかに関わってきたか、仕事が時系列で紹介された。都市デザインは都市計画ではない。都市デザインには、マスタープランを描く鳥の目よりも、地面を動き回っていろいろなモノやコトを発見し繋ぎ合わせことができる虫の目の方が大切だ。
行政として公的に(officialに)都市空間整備をすることも、個人として誰に対しても開かれた(openな)場をつくることも、ともに「公共性」という言葉が示すものである。両者の間で生きているのが桂有生であり、彼の公私混同の先にあるのは横浜の公共空間である。

桂 有生 Yuki KATSURA
横浜市都市整備局都市デザイン室 都市デザイナー

1999 東京藝術大学卒業
1999 安藤忠雄建築研究所
2002 山本理顕設計工場
2007-  現職
2014 東京大学大学院都市持続再生学コース修了