ポーンパット シリクルラタナ

ADAPTABILITY: アジアで作って考えたこと

住宅: L字の大きなバルコニーの一部は半屋外のワークスペース

photo: Ketsiree Wongwan


私は中学卒業後、大学院卒業するまでの高等教育のほとんどを日本で受けた。その後生まれ育ったバンコクに戻り、タイの文化省でカルチュラル・オフィサー兼インハウス・アーキテクトとして3年ほど勤めた後、大学に転勤した。その一方で、バンコクをベースに斎藤拓海と共同で設計活動も行なっている。10年以上住んだ東京は今でも自分にとっての第二の故郷であり、現在は論文のためにこの2つの故郷を行き来する生活を続けている。

2つの災害
大学院の卒業式数日前に、東日本大震災が起こった。同年5月バンコクに戻り、それからしばらくして、タイ史上一番深刻な洪水の一つが起こった。自然災害による経済損失額の大きさとしては、世界史上4位になるほど深刻な災害だったが、死亡者数、災害に対する恐怖感という点では、東日本大震災とは性質がまったく別のものだった。2つの災害は、自然災害であると同時に、ある意味人工的に引き起こされ、大都市のあり方と大きく関係しているという点において、共通していた。それらは、都市のあり方、建築のあり方、そして自然の接し方について、考えるきっかけになった。特にタイの洪水時、インフォーマルセクターが独自のネットワークを活用してうまくフォーマルなシステムに介入したり、大変な時期にも関わらず、ちょっと楽観で、クリエティブな即興的適応性を発揮する人々に感銘を覚えた。一年のうちにまったく別の2つの災害を体験したことはその後の自分の活動にも大きな影響があったように思う。

現代芸術センター : 工事の様子

現代芸術センター
タイの洪水騒ぎが少し収まった2011年12月に、現代芸術センターのプロジェクトが始まった。ラチャダムヌン通り沿いに建つ1930年代末につくられた15棟のテナントビルの一つを現代芸術センターに増改築するというものだ。2012年末に開催される、とある国際芸術展の会場として間に合わせるために急いでつくる必要があり、インハウスアーキテクトでやることが決まり、私と先輩1人が任命された。つくることが決まったのはよいが、どういう芸術センターが良いかなどという具体的なプログラムはほとんどなかった。まず私たちが最初にやったのはいくつかのインタビューとシンポジウムを企画し、夜に現代芸術史の講義を受けにいったりした。キュレーターやアーティースト、建築家などを呼んで話を聞き、目指すべき方向を専門家を取り入れて決めていった。

最初に既存の建物を見に行った時、テナントはかなり前からいないようで建物は大変荒れていた。それでも内部空間の繊細さは際立っていた。既存の建築空間を最大限に生かすために、5つの階段室の間に増築して、トイレや収納、機械室などのサービス部分をそこに収め、既存の空間がサービススペースに邪魔されず、展示スペースとして使えるよう計画した。また来た人が少しでも上の活動を感じられるよう、スラブをところどころ壊して縦の繋がりをつくり、そしていろんな分野の芸術に対応できるよう、いくつかのタイプの部屋を用意し、既存の5つの階段を利用して、いろんな組み合わせで展覧会が組めるよう配置した。工事が始まったあとはずっと現場に常駐し、特に仕上げに関しては、何重も重なっている仕上げ材や天井などを剥がしていった過程で、昔のコンクリートの表面にバナナの葉っぱの跡(専門家によれば昔の型枠の隙間にバナナの葉っぱが使われていたそうだ)や昔ながらのレンガが現れ、それらを隠さず、表面を保護するだけにとどめた。ホワイトボックスではなく、建築そのものがもつ物語が滲み出るよう、手を加えるのを最小限になるよう努め、消極的なリノベーションを目指した。

1940年代のラチャダムヌン通りの地図、旧市街の王宮と新宮殿を結ぶ通りでもある (credit: Pinai Sirikiatikul, Urban Renewal on Ratchadamnoen Boulevard and its Architect /from Royal Military Survey Department, Bangkok)

現代芸術センター : 既存の建物

現代芸術センター:1階の展示室 (photo: Ketsiree Wongwan)

住宅:ビフォーアフター:北側の庭から見る。裏だった北側が「表」になり、家の中とつながる (after photo: Pichan Sujaritsatit)

住宅:北側の4階建てタワーの通気用ギャップを見る (photo: Ketsiree Wongwan)

ビフォー:それぞれの個室に付いていた使われないバルコニーは増改築後大きなバルコニーという共有空間となった

住宅竣工後の展覧会オープンニングのトークイベント、大きなバルコニーで

庭のみどり

住宅
その一方で、パートナーと共同で設計活動も行なっているが、最初に竣工したプロジェクトがこの住宅の増改築である。ゲーテッドコミュニティの中に建つ、夫婦と3人娘のための住宅で、娘たちはすでに成人し普段は別の「家」で暮らし、週末または休みに時々そこに帰ってくる。一つの家族のための住宅でありながら、村のような、ゲストハウスのような場所が求められた。

既存の住宅はバンコクの典型的な2階建てRCラーメン構造で、壁の量が多く、中は薄暗い。敷地はそこそこ広いにもかかわらず、中にいると庭や広さはあまり感じられない。私たちは握った拳を開くように、中に閉じている家をできるだけ庭に向けて開き、高い塀ばかり続く周辺の雰囲気が変わるきっかけにでもなるよう、フェンスなどの外観をできるだけ周りに対して開くよう努めた。
2階は典型的なプランを解体して逆転させ、階段に大きなバルコニーを持ってきて共有することで、それぞれの個室は庭に近くなり、使われなかったバルコニーが使われるようになった。バルコニーは主寝室プラス一階と完結した個室たちを繋いでいると同時に離してもいる。コンパクトに生活することもできれば、広々と生活することもできる。
また、エアコンの使用が最低限になるよう自然換気に注目し、増築部分のボリューム配置は、ボリューム自体がウィンドキャッチャーになるよう配慮し、既存の階段室を伸ばした北側の4階建てのタワーも南面に250mmのギャップをつくって下階の熱気が出れるよう2重ファサードにした。

既存の壁から出て来た大量の木製サッシは開け方や位置を変えながらもほとんど全部再利用している。既存の断片が機能を変えて使われ続け、新しい家に断片的に時間が挿入される。どこまでが新しいもので、どこまでが古いものかわからないようなものを目指して積極にリノベーションした。また、竣工後、クライアントから許可を得て住宅丸ごと使って「インフォーマル」という展覧会兼トークイベントを企画した。ものをつくっている同世代のひとたちに声をかけて、プレスも招待し、普段閉じているゲーテッドコミュニティをパブリックに開いてみたのである。

2つのリノベ
最初の2つの設計プロジェクトがリノベーションというのは私たちの世代にとって典型的な仕事のあり方かもしれない。が、増改築のプロジェクトから始められ、現場をずっと見ていられたことは、自分たちにとって大変幸せなことだったように思う。つくることに憧れて建築学科に入り、これからつくるぞというところに2つの災害に逢った。建築の意義とかつくることに戸惑っているとき、ゼロから建てるのではなく、既存と対話しながら仕事ができたのは、幸いなことで、また建物が建っていく姿だけではなく、建物が恐ろしく豪快に破壊されていくさまをも見守れたことは、自分たちが書く線の一本一本の重みを実感させ、そして設計の厳しさと楽しさを教えてくれた。今は新築のプロジェクトも動きはじめたが、初心を忘れず、状況と対話して受け入れつつ、抵抗力のあるものをつくれるようがんばりたい。 (シリクルラタナ)

住宅:L字の大きなバルコニーの一部は半屋外のワークスペース (photo: Ketsiree Wongwan)

「ADAPTABILITY: アジアで作って考えたこと」を聞いて 稲山貴則

東日本大震災と同年5月に起きたタイの大洪水。2つの自然災害は被害の性質は全く異なるが、災害後の復興、さらにはその後の建築を包む空気感は日本とタイとでどこか似ていると感じた。
紹介頂いた2つの建築作品も引き算のリノベーション、ハードにもソフトにも「開く」というコンセプト、パッシブデザイン、素材の転用等、震災以降日本でも良く言及されているテーマを扱っている。むしろ興味深いのは、バンコクの様な日本の都市よりもよりコンテクストの強い地域でその建築が地域に受け入れられていることである。それは地域や要望に対して検証を重ね、施工者と対話を繰り返した結果であり絶え間ない建築への熱量を感じた。
日本と似ている部分も多いが、大洪水時の楽観的な街の雰囲気や工事中の施工者とのやり取りを伺うと日本のように都市・建築環境が成熟していないと感じるが、建築にできることも多く可能性を感じたのと同時に少し羨ましくも思った。

ポーンパット オン シリクルラタナ Pornpas SIRICURURATANA (On)
建築家・カセサート大学講師

2000 タイ政府派遣留学生として来日 2009 東京大学工学部建築学科卒業
2010 Technical University of Munich (AUSMIP交換留学)
2011 東京大学工学系研究科建築学専攻修士課程修了
2011-  個人で設計活動
2011-  タイ王国文化省現代芸術文化事務局 In-House Architect
2014-  カセサート大学建築学部建築学科専任講師 (タイ)
2017-  東京大学工学系研究科建築学専攻研究生